エリック・クラプトン・アンド・フレンズのクロスローズ・ギター・オークション 2004

杉山栽一

80年より英国サリー州在住。80年代後期より自身のバンドを率いてロンドンのブルース・クラブでギタリスト・シンガー・ソングライターとして演奏活動する傍ら、99年と2004年のクラプトン・オークションでクリスティーズの要請でコンサルタントとしてカタログのギター使用歴について調査・執筆をした。また、クリームの作詞で知られるピート・ブラウンと全曲共作、ズート・マネーやクレム・クレムソンをメンバーにした久々のソロ・アルバム「So Am I」が2004年7、日本先行発売された。日本の諸ギター・音楽雑誌でもインタヴュアー/ライターとして執筆。

ピート・ブラウンと杉山、2004年8月、ロンドンにて

1999年6月24日、エリック・クラプトンの100余点のギターがニューヨークのクリスティーズでオークションにかけられ予想をはるかに上回る金額で売られて話題を呼んだ。クラプトンが自ら設立したドラッグ・アルコール依存症患者療養施設・クロスローズ・センターの資金にあてるというその姿勢は欧米のマスコミにも評価された。あれから5年、その記念日、今年の6月24日にエリック・クラプトンのギター50余点を含む80を越えるギターが再びオークションにかけられる。

今回のオークションはギターの本数こそ前回に比べると少ないものクラプトンにとって5年前には手放す決心がつかなかったというギターが連なっている。クラプトンはそのいきさつをクリスティーズにこう語った。

「僕の目からみればそんなに豪華ではない普通の仕事用のギターに人々があんな金額を出してくれたということで興奮、ショック、とても感動した。西海岸でリハーサル中だったけれどインターネット中継でオークションを見たんだ。僕の000-28があんな金額で売れたときには涙が出てしまったよ。ブラウニーはあんなに暖かく迎えてもらった。他にも自分のキャリアの中で重要な位置を占めるギターを売りに出さずにまだ持っていることを自覚していたから、あんな金額で売れるんだったら早くもう一度オークションをしたいと思っていた。それに自慢したくはないけれど、みんな自分から見るとグレートなギターが揃っている。自分でグレートなロックとブルースのギターを選りすぐって買ったからね。」

「これらのギターは前回のオークションの時には別れる事を考えられなかったので手許に残したやつなんだ。だから前回のオークションの時には色々と宣伝活動をしたけれど今回はそれはしない。何故なら今回のギター達にはそんな宣伝は不要だからだ。今度のやつは自分のAチーム、「クリーム」(最上品のこと)だからね。仕事するのに最小限必要なギターだけ残しているよ。自分のコレクションの最上部分を売るんだ。」

「前回のオークションが終わって時間が経って、そんなに苦しまなかったことに気がついた。自分で所有して倉庫にずっとしまっておくより他の人の手に渡ってギターが喜んでいるんじゃないかと願っているんだ。言うまでもなく僕の純粋な願いはギターが弾かれているようにということなんだけれど、あの中の何本かはその経歴から人々が敬意を抱きすぎてしまう可能性はあるけれどね。」

クラプトンが言うように今回のギター達は大物揃いだ。1964年、ヤードバーズ時代にはじめて手にした大きなギャラを握り締めて、現在もあるロンドンのチャリンググロス・ロード沿いの楽器街に行き新品で買ったチェリー・レッドのギブソンES−335。クラプトンの40年にわたるワン・オーナー・ギターだ。それに紹介のいらないブラッキー。昔、他人に触られると自分の体に触れられたように感じるとまで言っていたギターである。「初めて買ったシリアスなマーティン」と本人がいうマイク・ロングワースによる改造の1966年製000−28。アンプラグド以降に使われた1939年製の000-42。クラプトンの第2黄金期、24ナイツを象徴する虎目ネックのシグネチャー・ストラト、ブラインド・フェイス時代から持っている自分でデザインを考案したという世界最大級のゼメイティス12弦ギター。「今回のギターには前回のものより愛着のあるものが多いのでは?」というクリスティーズの問いにクラプトンはこう語った。

「ブラウニーと『ロデオ』ギターはとても辛かった。でも今回のオークションでは全部のギターがそれと同じカテゴリーに入るんだ。今度のギターは全て自分の個人的な歴史で何らかの深い意味があるギターなんだ。」

「でも昔に比べるとこれから仕事の量も減っていくだろうし…。それに僕によるセンターのための公的な募金活動はこれで最後にする。ここ5年間だんだんと距離を置くようにしているんだけれど、もう一度だけ盛大なイベント−今回はギター・フェスティバルとオークションを関連づけて−をやってそれで終わりにしようと思った。そうすればセンターの財政もあと10年から15年は安定する。」  

テキサス州ダラス市のフェア・パークでオークションの直前の6月4日(金)から6日(日)の3日間にかけてエリック・クラプトンの主催で開催されるクロスローズ・センター・ギター・フェスティバルではギター・クリニックやデモンストレーションが終日行われ、日曜日には午後一時よりBooker T & The MG’s, Jimmie Vaughan Band and Eric Clapton BandをバックにEric Clapton and Doyle Bramhall II, J.J. Cale, Larry Carlton, Robert Cray, Vince Gill, Buddy Guy, David Hidalgo, Eric Johnson, B.B. King, Sonny Landreth, Brian May, Pat Metheny, Robert Randolph, Otis Rush, Carlos Santana, Neal Schon, Hubert Sumlin, James Taylor, Dan Tyminski, Steve Vai, Jimmie Vaughan, Joe Walsh, ZZ Topという最強メンバーでマラソン・コンサートが行われる。

「今回はオークションにからませて自分の理想のミュージシャンとギターのフェスティバルをやろうと思いついた。これは昔からずっと夢見てきたことなんだ。自分のフェイバリットのギターリストのリストを作って皆でどこかでプレーをするってね。それでその後オークションをする。皆すごく気前良く引き受けてくれたよ。」

「今回のオークションは前回に比べてもっと辛くなるんじゃないかと思う。僕のコレクションを本当に空にしてしまうからね。本当にもうあまり残っていないんだよ。きっとリーに「あのギターあるかな?持ってきて。」というと「あれは売っちゃったよ。忘れちゃったの?」という返事が返ってくるんじゃないか。(笑い)でも自分が大事に思っている事について他の人が共感してくれるのは嬉しいよ。慈善事業というのは誰もみな理解してくれるものではあるんだけど、僕らにとっては難しいものがある。というのは、イギリスやヨーロッパではアルコール依存症や麻薬中毒は病気として真剣に受け止められていないんだ。医者達にもね。癌とかエイズとかには共感を持つんだけれど。そういう病気に対する慈善事業はちゃんとしたものと受けとめるんだが、犯罪との関連で中毒患者には手を差し伸べてやる価値は無いんじゃないかって思いがちなんだ。でも僕が今までに会った中毒を克服しようとしている患者達はみな素晴らしい人たちだ。中毒とは本当にどんなものなのか、どうやって起こるのか、といったことをもっと広報して人々に理解してもらう必要がまだあると思う。」

クラプトンは自らの中毒を克服して以来10年以上、英国地元のクリニックをはじめ各地でカウンセラーを務めてきている。療養施設クロスローズ・センターのオーナーとして、そして経験の深いカウンセラーとしての立場からの発言には説得力がある。ここまでもギターを処分してしまうと言うことはいよいよ引退ということなのだろうか?クラプトンは笑いながらこう答えた。

「いや最低限のギターは残しておいたよ。ジャストだけどね。」これからはギターを買ったりするのだろうか?「1−2年の内にまた同じ数溜まるんじゃないのかな?」と言うクラプトンの返事に部屋は明るい笑いに包まれた。

 

それではクラプトンが自分のコレクションの最上部分と断言した今回のオークションに出品されるギターを見ていこう。

88

1956/7 composite Stratocaster

“Blackie”

いわずと知れたこのクラプトン自身の手により3本のビンテージ・ストラトから組み立てられたこのブラッキー。シグネチャー・モデルが開発されて引退に入ってから早くも18年になるが、本人によると組み上げたその日からメインギターの座についたとのことだ。組み上げたのは70年秋のドミノズのUSツアーからサリー州の自宅に持ち帰ってすぐ、ということはクロスローズのボックスセットで聞かれる未完成に終わったドミノスの2枚目のスタジオ・アルバムの音もこのギターだろう。ほぼ15年間クラプトンのよき伴侶を勤めた事になる。

今ではアクティブ・サーキットを持つシグネチャー・モデルの音に慣れ切ってしまったクラプトンだが、「このギターには新しいピッアップでは絶対に出せない音が一つだけあってね。あのセレクターをブリッジとミドル・ピッアップの間にセットした音。ストラトから出せる最高の音の一つだね。新しいギターでも似た様な音は出せるんだが、やっぱり違うんだ。」とクリスティーズに語った。

前回のオークションで最高価格で落札された「レイラ」のストラト、ブラウニーと比較した場合はどうなのだろうか?ブラッキーの方が「ベターだ」とクラプトンは語る。「そう、ネックだね。」というエリックに、リー・ディクソンがすかさず「ブラウニーはもっと厚みのある、棍棒型のネックだったんだ。」と解説を加える。エリックが続ける。「そう、ブラウニーはもっと工業用車的なギターだったな。ブラッキーはもっと洗練されているんだ。レーシングカーだね。これの前はブラウニーを弾いていたんだがレイラを録ったすぐ後、ツアー中にその6本のストラトを買った。その後は全ての仕事にこのギターを使った。」

ブラッキーを手に初めてステージに立ったのはレインボー・コンサートの6時半の部、遅刻して来て周囲をハラハラさせた時だ。その時にはクラプトンには珍しくトレモロ・アームも付けていた。

74年のカムバック以来この黒いギターはクラプトンとは切り離せない存在になった。

「今でも黒いストラトは自分の理想のギターだね。いま弾いているグラフィティーのストラトはとてもエキサイティングだけれど、クラシックなフェンダー・デザインを一つ選べと言われたらそれはメープルネックの黒いストラトキャスターだ。」

ブラウニーと言えば「レイラのストラト」だったが、ブラッキーにとっては何が代表作と呼べるのだろう。クラプトンに言わせると「スローハンドだな。ジャケットにも写っているし」とのこと。他にも74年カムバック・ツアー、75年のサンタナとの共演、76年のフレディー・キングとの共演や同年「ラスト・ワルツ」でのストラップの外れたエピソード、79年のマディー・ウォーターズとの共演や同年の武道館でのジャスト・ワン・ナイト、アルコール中毒で体調を崩していた82年のマディー・ウォーターズとの最後のステージ、83年回復後のオールスターARMSツアー、ギタリスト・クラプトン現役復帰ののろしを上げたロジャー・ウォーターズとのツアー、生き生きと輝いていた85年の「ビハインド・ザ・サン」ワールド・ツアー、はじめてのプロモ「フォーエバー・マン」、そして世界のクラプトンここにありといわんばかりのライブ・エイドでの凱旋の「ホワイトルーム」とクラプトンと苦楽を共にしてきたブラッキーだ。

85年「ビハインド・ザ・サン」ツアーの後の正式引退のあと、最後に人前に姿を現したのは1990年来日と時を合わせて日本オンリーで流されたホンダのアスコットのCMの収録時。長髪のクラプトンがニューヨークのスタジオで「ジャーニーマン」からの「バッド・ラブ」にブラッキーで新たなリード・ギターを被せる姿が印象深い。また91年のアルバート・ホール・コンサートで1曲だけ「お忍び」で弾かれたこともあった。

クラプトンにとってブラッキーにはどんな思い出があるのだろう?

「70年代を通してのツアーだな。カール・レイドルとのバンド、それとドミノズだ。随分酷い目にあわせたよ。タルサの奴ら、ジェイミー・オールドエイカーやカール・レイドルとプレーしていた頃だけど、リハーサルをやっていて曲を終わらそうとしてステージにブラッキーを下敷きにしてうつ伏せにぶっ倒れたことがあった。ナットを割ったよ。木っ端微塵だった。でもそれ以外ギターは無事だった。」

ブラッキーのヘッドの6弦のチューナー近辺には木を埋め込んで修理した後がある。

「それは確か買った時からあったな。でもこのネックを選んだのはとても極端なVシェイプだからだ。自分の見たメープルネックの内では一番きついVシェイプだね。素晴らしいネックなんだ。触った感じが最高だ。」

シグネチャー・モデルはこのネックをコピーした訳だがクラプトン本人にから見るとどこまで再現できているのだろうか?「ある程度までだね。フェンダーは安全圏に留まる形で再現したんだ。あくまでも実用的な範囲でのコピーだ。」

クリスティーズではクラプトンに敬意を表してブラッキーを分解することはしていないが、ブラッキーには実際にはどんなパーツが使われているのだろうか?リー・ディクソンが説明する。

「ネックは57年製だ。ピックアップの一つは買った年の70年製のものがついている。残りの二つはオールドだよ。フェンダーがブラッキーのネックをコピーした時には…フィンガーボードの縁の部分が長年の使用によって自然にすり減ってきて丸みが出ているんだけれど…これをシグネチャー・モデルで再現しようとしているんだ。ガラス・スライドを使って削ってね。角があまりシャープでないようにしている。でも木と言うのは有機的な材だから、そしてエリックがこのギターを長年に渡って弾き込んだ結果だからやはりこういう微妙なニュアンスとかタッチはやはり絶対に完璧には再現できないね。」

昔の写真と比べると80年代になってピッガード、ピックアップ・カバー、ボリューム・ノブ等のプラスティック・パーツが交換されたのが判るが、これは現役のギターだった当時、音質やプレーに関連のない部分についての最低限のメンテだったのだろう。ピックアップが断線したこともあったようだが極僅かな巻き直しで逃れられたようである。昔からのブラッキーのチャーム・ポイントだった1弦クルーソンペグの裏のゴールド・カバーやトレモロブロックの裏の赤いハートなど、ブラッキーをブラッキーとたらしめるものであるが、どんなストリーが秘められているのかと想像すると楽しくなる。

ブラッキーはいままで他人に弾かれた事はあるのだろうか?リーが答える。

「エリックのギターには魔術みたいなものがあるんだ。自分はいつも敬意をもって接するようにしている。自分の手持ちのギターが無くても彼のギターを弾くような事はしない。いままで誰も弾いたことがないよ。誰も近くに寄せないようにしてきた。」

ではエリックはこのギターを買う誰かに何を望むのだろうか?

「敬意を持って扱ってやって欲しい。それが具体的にどういうことなのかというと判らないけど…。何でも一番ギターに良い様にしてやって欲しいな。」

87

2004 Stratocaster Crash Concept Model “Crash 3” by Todd Krause

このギターは今年3月15日のアルバート・ホールでのチャリティー・コンサート「ワン・ジェネレーション・4(フォー)・アナザー」でデビューし現在進行中のヨーロッパ・ツアーでクラプトンメイン・ギターとして活躍している。このグラフィティー・ストラトは今年3月にクラプトンに届けられたばかりのもの。クラプトンの友人のグラフィティー・アーティスト、クラッシュによりペイントされた3本目だ。クラプトンには「クラッシュ3号」と呼ばれている。クラッシュによると、立体的な感触を出すためにそれぞれの色を3−4回塗ってパターンを作っているとのこと。塗装の表面はスムースではなく凹凸がある。ギターを作成、最終フィニッシュを施したのはフェンダーA&Rのクラプトン担当ビルダー、トッド・クラウスである。

86

1988 Eric Clapton Signature Model built by Mike Stevens

この黒のシグネチャー・モデルはジャーニーマン・USツアー中の1990年夏より使われ始め1993年日本公演でホワイトのギターに持ち替えるまでメイン・ギターを勤めたあの素晴らしい虎目ネックのギターである。

1991年アルバート・ホールでの24ナイツ、同年11月のジョージ・ハリスン日本ツアー、1992年のワールド・ツアー、同年夏のエルトン・ジョンとのジョイント・野外コンサート・ツアー、10月16日マディソン・スクェア・ガーデンズで行われたボブ・ディラン・30周年記念コンサートでの「Don’t Think Twice It’s Alright」の名演。翌1993年1月LAでのロックンロール・ホール・オブ・フェイムでのクリーム再結成。そして全編ブルースで通した1993年のアルバート・ホール公演、93年秋、英国北部地方でのジョー・コッカー、ZZトップとの共演のチャリティー・ギグまで使用された。

クラプトンの第2黄金期といえるこの時期、スティービー・レイ・ボーンの事故死・24ナイツ・息子の転落死・アンプラグドでの大成功・ブルースへの帰還と文字通りクラプトンとともに喜怒哀楽をともにしたこのギターである。

実は1988年というネック・デートの持つこのギター、虎目から判断してマイク・スティーブンス作のネックは1988年にメタリック・グリーン、1989年にピューターに取り付けられたものを1990年にジェイ・ブラック作の黒のボディー(マイク・スティーブンスはその時点ですでにフェンダーを退社している筈)に取り付けたものと確信しているのだがリー・ディクソン氏はこれを2回にわたり筆者に否定しているので(氏はこのギターのネックは交換された事はないとの話)カタログでは1988年製という表記になっている。ボディーにはデートがなく、またこのギターにはシリアルナンバーもない。

リーによるとブラックをシグネチャー・シリーズに加えようというのはエリックの提案で、このギターはエリックの最後のスモーキング・ギターだったという。確かにこの後のホワイトにはじまる一連のメイン・ギターには煙草の焼け焦げはついていない。

85

2000 Eric Clapton Signature Model with Roy Brizio hotrod paint

2000年、Riding With The King録音当時のクラプトンは趣味での改造ホット・ロッド車に凝っており、カリフォルニアの有名ホット・ロッド・ビルダー、ロイ・ブリジオ氏の手による玉虫色のペイントを施した1932年製フォード・モデルB。ロードスターをレンタルしてスタジオの駐車場でBBキングと乗り込み満足そうな微笑を浮かべた写真がある。車とおそろいのギターを持ちたがるクラプトンのこと、ブリジオ氏にギターのペイントも依頼した。リーが説明する。

「見る角度を変えていくと色がそれにつれて色々と変わって見えるからアメリカではこれを『flip flop』ペイントと呼ぶんだ。ロイのホット・ロッドは前のほうが茶色・オレンジ・金色で後ろにいくにつれて孔雀色・ダークブルーとなっていたんだけれど、エリックと僕は車の後部の色を選んだ。ロイには2本ペイントして貰った。これと、あともう1本は青いスパークルの入ったブラックのもの。このギター、自分で「レインボー・ロッド」と名づけたけれど、これはエリックに認められた名前じゃない。」

このギターをペイントするにあたってロイ・ブリジオ氏はエリックに貸し出した車と同じくデュポント社製の「クロモールジョン」というペイントを使用した。

このギターは2001年のレプタイル・ツアーでグラフィティーのクラッシュ1号機(日本ではクラッシュ2号機)のスペアとして使われ、ザ・ギター9のバックステージ写真でもその姿が確認できる。USツアー前半の最終日、2001年6月24日のニューヨークのコンサートの終盤での使用写真、また日本公演での使用写真が存在するがスペースの都合でカタログからは割愛された。

 

81

1997 Eric Clapton Signature Model with VW Sound Foundation paintwork 

 これは1998年のピルグリム・ツアーのスポンサー、フォルクスワーゲンによりオーダーされ同年12月のツアーの最終日にエリックに贈呈されたストラトキャスター。ツアーのメモラビリア一式もセットで付いてくる。リーが解説する。「これはツアーのポスター等につかわれたロゴやアートワークをあしらった数本のカスタム・ギターのうちの一つ。ツアーで訪れた先々の都市で現地のVWスタッフのためにスポンサーが毎晩バックステージでパーティーが開いてね。そこにはいつもこのカスタム・ギターが小さなアンプと用意されていて、いつもネーサンとか誰かがそのギターで遊んでいた。で、ツアーの最終日に、エリックがこのまだ使われていなかった1本の贈呈を受けたんだ。」

80

1994 Custom Shop Stratocaster with children's signature presented to Eric Clapton after  

79

1996 Eric Clapton Signature Model Fender 50th Anniversary built by Mark Kendrick and decorated by George Amicay

1997年にメイン・ギターとして活躍したこの黄金のギターはフェンダー社の創立50周年を祝って作られたもの。

クラプトンはこのギターについて「素晴らしい、ビューティフルなギターだ。フランスの石膏像のような感じを求めていたんだ。」とクリスティーズに語った。リーが話を続ける。「フェンダーから電話で会社の50周年になるっていう話でね。エリックに何か作ってもらうかどうする?と聞いたら『うん、ゴールドのストラトがいい。』という返事だった。それで『了解。ノー・プロブレム』と言ったら『そう。金箔のストラトだな。』と言うんだ。それで『あー。ビッグ・プロブレム』と言い直した。(一同笑う)それで、フェンダーに話をしたら彼らも僕みたいにね『ノー・プロブレム』って、それで金箔のストラトの話だと気がついて…。均等な金箔を貼るっていうのが大変な作業だったんだけど本当に良くやってくれてね。やっとのことで完成させた。」

 このギターの金箔張りの作業をしたのがカスタムショップの装飾担当のマスター・アーティザン、ジョージ・アミケイだった。ビルダーはマーク・ケンドリック。1996年5月に完成、その月終わりにサンタモニカのコンプレックスでリハーサル中のエリックの許に届けられた。

 「出来上がってきたものは、好き嫌いがはっきり分かれるものだったよ。見た人は『オー・マイ・ゴッド』(感嘆の声で)というか『オー・マイ・ゴッド』(苦渋に満ちた声で)のどちらかにはっきり分かれたな。」

  エリックにとってこのギターは構想にマッチしたものだったのだろうか?

 「そう、まさに想像したとおりの出来だった。」

翌1997年のBBキングのデュエット企画アルバム「Deuces Wild」に参加「Rock Me Baby 」をプレーしたクラプトンはこのギターを使った。当初の23Kゴールド・パーツのついたこのギターの姿はアルバム内ジャケットのクラプトンとBBのツー・ショットで見られる。その後現在の白いプラスティックに変更され97年7月 のマーカス・ミラーのフュージョン・ジャズ・スーパー・グループ、レジェンズ(ジョー・サンプル、スティーヴ・ガッド、デイヴィッド・サンボーンと参加)の2週間にわたるヨーロッパのジャズ・フェスティバルのツアーでメイン・ギターとしてステージ・デビューする。7月11日のノース・シー・フェスティバルでのステージはオランダのテレビで放映された。

同年9月には元ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの主催のアルバート・ホールでのモンセラット島救済コンサートにこのギターを持って出演。アンコールではポール・マッカートニー、スティング、エルトン・ジョン等と共に「ヘイ・ジュード」を演奏する姿が世界中で報道された。

 同年秋、初めての韓国公演を経て来日した際にはこのギターを弾いてまだ未発売だった「ピルグリム」からの曲を披露した。

その後はシグネチャー・ブラッキーにメイン・ギターの座を譲り98年のピルグリム・ツアーではスペアとしてバックステージに留まった(ザ・ギター9参照)。このギターはその後、2000年3月から2003年10月まで米国オハイオ州クリ−ブランドにあるthe Rock and Roll Hall of Fame博物館に陳列された。

クラプトンは何故このギターを弾くのをやめたのかこう説明する。

「時にはあまりにも慎重に扱いを要求するとか、仕事の道具として成り立たないギターがある。自分は、いつも意識せずに道具として使えるギターに戻っていく傾向があるんだ。ここしばらく弾いているクラッシュのギターも装飾的だけれども、このギターほどではないね。」リーが続ける。

「まあ特にこのギターについて何かトラブルがあったわけではないんだけれどね。フィニッシュだってまだ新品同様だし…。」

金箔のギターはクラプトンのものの他に2本存在する。フェンダーの話によると、同社の社長と日本のエリックの行きつけのレストランのオーナーが1本ずつ持っているという。日本にあるものは2001年の日本公演の際にアンコールでプレーしていたギターだという。エリックはこう語った。

「日本にグレートなレストランがあってね。そこの人が僕のナンバー・ワンのファンなんだ。彼がフェンダーにコピーを作ってくれって頼んだ。フェンダーには僕が許可をすれば作るって言われた。だからあと1本許可されたコピーが存在する。」

リーが付け加える。「エリックはこのファンのゴールド・ストラトを2001年の日本ツアーのステージで3晩続けてアンコールに弾いたんだ。…実はね、フェンダーがこれとペアになるアンプも作ろうと実際にやって見たんだけれどね。ちょっと大変すぎたようだった。」エリックがすかさず苦渋に満ちた声で「オー・マイ・ゴッド」というと一同が大笑いとなった。

78

1993 Eric Clapton Signature Model prototype with chrome finish by JW Black

これはJWブラックがつくったアルミニューム・ボディー、クローム・フィニッシュのシグネチャー・モデルのプロトタイプである。リーが説明する。「このボディーは二つのアルミニューム板から出来ていて重量を軽減するためにボディーには空洞がある。これはJブラックがエリックの意見を聞くために送ってきたプロトタイプだ。フェンダーはエリックの意見をとても尊重していている。スライド用に良いんじゃないかと思ったよ。エリックはスタジオで一度試して見た。とても素敵な変わったギターだと思う。」

「見た目から考えるほど重くないんだ。共鳴をさせるためにボディー全体にわたって空洞化されているから重量も軽くなる。スタジオで使ったときには良い音がしたよ。」

 

74

1967 Telecaster

73

1959/60 Fender Stratocaster (composite)

72

1958 Jazzmaster

 これはクラプトンがヤードバーズ時代を懐かしんで手に入れたという1958年製アノダイズド・ピックガードのジャズマスター。クラプトンが語った。「ビューティフル。ヤードバーズにいた頃こういうのを1本持っていたんだ。鼈甲柄のピックガードのやつをね。これは懐古的に買ったものだな。見た目中心で買ったギターだ。」リーが付け足す。「そう、ジャズマスターとジャガーはいつもあのファンキーなルックスを持っているよね。」クラプトン:「うん、ビューティフルなボディー・デザインだよね。すごくピュアだ。」リー:「これは特にナイスなギターだね。ジョージ・ハリスンの日本ツアーの直後あたりに買ったんだった。」

 ヤードバーズの写真で見るジャズマスターがクラプトンのギターだったということが上のインタビューでの会話から判るがES335と同じくクリス・ドレジャがこのギターを手にしている同時代の写真も存在する。

71

cicra 1958 Twin Amp 5F8-A

70

1957 Electric Mandolin

69

1996 Eric Clapton Signature Model prototype built by Larry Brooks

この1996年にマーク・ケンドリックの前任者だったラリー・ブルックスが作成したシグネチャー・ブラッキーはリー・ディクソンにより「アポロ・ギター」と呼ばれている。このギターは金箔のギターの後を継いで1998年からステージでよく見かけるようになったギターだが「アポロ」というのは1993年6月に行われたニューヨークの黒人音楽の殿堂アポロ・シアターの50周年記念のコンサートのこと。クラプトンがBBキング、バディー・ガイ、ジェフ・ベック、ロバート・クレイ、アルバート・コリンズと共演した豪華コンサートだったがこれが何故この5年後につかわれるようになったギターと関係があるのだろうか?リーが説明する。

「これを自分がアポロ・ギターと呼ぶのはこのギターのアイディアが最初に生まれた場所がアポロだったからなんだ。フェンダーのジョン・ペイジとラリー・ブルックスとシグネチャー・モデルの仕様の変更について話し合うミーティングを持った。 これがその時エリックが希望したいくつかの変更を具体化した最初のギターなんだ。彼らがアポロ・シアターのコンサートのリハーサルの時にやってきてね。そこで新しい仕様を伝えた。」エリックが付け足す。「そう、変更はネックとフィニッシュだったね。」「そうネックだった。…それとこの頃ヘッドにサインを入れないように頼んだんだ。エリックのギターにだけね。市販のギターにはサインは入れ続けたんだけど自分のサインがヘッドに入っているのに飽きてきてね。このギターにはサインが入っていないよね。これはネックの汚れ具合から見てもよく使われていたことが判る。」

このギターは98年3月より開始された20人編成のオーケストラと10人編成のバンドを従えたピルグリム・ワールドツアーのメイン・ギターとして使われた。(ザ・ギター8参照)また98年12月には米ホワイト・ハウスで開かれた身障者オリンピックとあわせたTVスペシャル、「Very Special Christmas」にJon Bon Jovi, Sheryl Crow, Mary J. Bligeなどと 出演“Merry Christmas, Baby” と “Crying Christmas Tears”をこのギターで弾いた。

また1999年6月30日には前回のクロスローズ・センター・オークションと関連したイベントCrossroads Benefit Concert を Eric Clapton and Friends の名義で Madison Square Gardensで主催、Bob Dylan, Sheryl Crow, David Sanborn and Mary J Bligeと共演したがその時も出演曲の大半をこのストラトでこなした。その秋、9月14日にはニューヨークのセントラル・パークで開かれたKeith Richards等と“Central Park in Blue” と銘打ったフリー・コンサートにSheryl Crow and friendsの名義でこのギターを手にして出演、 また10月23日には前年に続いて2度目のホワイト・ハウスでクリントン夫妻とVH−1主催のチャリティーTVショー  “Concert of the Century” にこのギターを手にして出演、“All Along the Watchtower”を Lenny Kravizと、また “The Thrill Is Gone” を BB Kingと演奏した。

そしてバンドこそ小さくなったものの素晴らしい演奏を聞かせた99年11月のピルグリム・ツアー日本公演でもこのギターをメインとして使用している。

 

52

Gretsch

1962 Duo Jet

51

Terry C McInturff

1998 TCM Glory Standard Custom

49

Gibson

1998 Chet Atkins CE

このチェット・アトキンスは2003年来日公演で毎晩Can’t Find My Way Homeを演奏するのに使ったギター。クラプトンは「すごくいいギターだ。丁度日本公演で使ってきたやつだ。」リーは「前回のオークションで処分した黒い同モデルの代用に買ったもの。買ってから2年位。この間日本に持って行ったもの。」とコメントしている。

45

Gibson

2001 Les Paul Standard Historic Collection

2001年レプタイル・USツアー中にエリックが急にストラトではなくギブソンが弾きたいと言い出し、リーが急遽準備したギターの一つ。8月7日、オレゴン州ポートランド市のRose Garden Arenaでのコンサートでは通常のストラトキャスターの代わりにES345とこのギターを弾き一晩中フェンダーを手にしなかった。このレスポールはコンサート終盤の“Layla”, “Will It Go Round in Circles”  “Sunshine Of Your Love”で使われた。

 リーが説明する。「アメリカ・ツアーの最中、金曜日か土曜日ステージを降りた後のエリックから電話があって『次のギグではギブソンを弾きたい』っていわれた。『このウィークエンドに何が手に入るだろう』と悩んだよ。60年代のギターを探して方々のディーラーに電話をかけてニューヨークのJimmy Archieが335とこのレスポールを手配してくれたんだ。次の晩はその2本で一晩中弾いて、その次の晩にはアンコールでまたこのレスポールを弾いた。それからまたストラトに戻ったけれどギブソンがこのギターは持っていて良いと言ってくれたんだった。」

何故クラプトンはギブソンが急に弾きたくなったりするのだろう?

「頭の中で思っている事なんだ。なにか急に懐かしくなったり、あるいはアンプが気にくわなかったりとか。ギターが気にくわないということは先ずないね。アンプのことが多い。フェンダーとアンプの組み合わせがしっくり行かないとか、音が暖かくないとかね。ギブソンはいつも温かみがある。低音とか中域とかはギブソンが良いんだ。僕の耳が疲れていたのかも知れない。あるいは僕自身が疲れていたのか。あるいは単に変化が欲しかったのかもしれない。」

リーが付け加える。「その通り。アンプの問題だったね。思い出した。このギターをケースから取り出してね、アクションをエリックの好みに調整して、自分達の弦を張って…。そしたらエリックはギターをかけてステージに出て行ってプレーした。もう何ヶ月もこのギターを弾いていたかのようにね。それで凄く良いショーだったんだ。」

43

Gibson

1996 ES-336 Custom Shop

41

Gibson

1964 ES-335 TDC

エリックはクリスティーズにこう語った。「これがこのショーのスターだね。これは自分で2本目に買ったエレクトリック・ギターだ。ピンクっぽい赤のテレキャスターでその次がこれ。一番最初のやつは祖父母が買ってくれたケイ、ダブルカッタウェイの、アレクシス・コーナーが使っているのを見たやつだ。プラスティックを張った巨大なヘッドで醜いギターだったけど短い期間で弾けなくなってしまった。この335は新品で(ロンドンの楽器屋街)デンマーク・ストリートかチャリングクロス・ロードで買ったんだ。」

「このギターは全ての面で良いギターだった。ロック・ギター、ブルース・ギター、本物のギターだった。フェンダーはソリッドだったけれどこれはセミ・アコースティック。今フェンダーの自分が好きな点が当時には気に食わなかった点だった。ネックにバインディングが付いていなかったとかね。このギターはフィニッシュは言うこと無し、当時自分がギターに求めていたことはすべて果たしていた。当時のイギリスではギブソンのギターはなかなか買えなかった。だから自分もアレクシス・コーナーもケイなんかを弾いていた。全然見かけなかったんだ。ハグストロムとかホフナーとかいったドイツのコピーとかを皆買っていた。ヤードバーズとプレーして初めて稼いで貯めてお金を持って早速これを買いに行った。それ以来ずっと持っていたギターだ。何十年にも渡り引き続けてきた。アルバムにも沢山使われている。全然変わっていない。年を取っていない。擦り減ったりしていない。何も失っていない。今でも弾くギターだよ。」

 リーが付け加える。「このギターへのリペアといえば数年前にフレットを磨り合わせた位だな。あとボリューム・ポットを一個替えた。エリック自身がずっと昔にペグをグローバーに変更した。このギターが出てくると、このギターのケースを引っぱり出して、ギターをラックに立てるとね、必ずいつもヘルプに入っている地元のクルーがこのケースと一緒に写真を撮ってもいいですか、って聞いて来るんだ。ギターと写真を撮ってもいいですかとは余り聞かれないんだけどね(笑い)。」

エリックが「このギターは一生懸命働いたな。どこにも一緒に行った。」と回想する。リーがいう。「これは凄く音がいいギターなんだ。ブルース・ツアーでは沢山使った。あの時は335が2本あってね。もう一本は1960年のタバコ・サンバースト。前回のオークションで売ったやつだ。2年位しか違わないんだけど音が本当に物凄く違っていたな。(エリックに向かって)このギターでの最高のプレーのひとつ、魔法のようだったのはDrジョンと出た時。ニューヨークのあの小さいクラブでSt James Infirmaryで演奏したあの時。あの晩はまさに流れるようなプレーだった。」